★「市長と議員の関係」市議会議員が市長選挙を手伝わない理由(市長選挙に寄せて)★

 

◆私が市議会議員として市長選挙に携わるべきではないと考える理由 | 市長と議員の馴れ合い防止に向けての考察◆

 

市長と市議会議員

※画像:http://www.city.yonago.lg.jp/16788.htm

 

2017年9月24日投開票の知多市長選挙が告示されました(→★「知多市長選挙」2017★)。本市長選挙を経て、市の発展と住民満足の向上に向けてより良い市政運営がなされることを願っています。私は市議会議員になってはじめて自身の自治体で市長選挙を迎えるわけですが、色んな方から(応援していただいている方もそうでない方も)、市長選挙を手伝わないのか? 市長選挙を応援していないのか? といったお言葉を耳にします。というのも、私以外のすべての議員が現職市長の応援か、新人候補の応援のどちらかに携わっているためです。

 

質問をいただく度に、立場と考え方を丁寧に説明していますが、「提案と議決」「執行と監視」という緊張関係を保つべき市長と市議会議員の立場から、私は市長選挙に市議会議員が携わるべきではないと考えて選挙手伝いをしていないことをお伝えいたしたくここに記します。私は議員として引き続き、審議と議決と監視と提案の職務を遂行していく所存です。

 

これは何も正論を振りかざしたいわけではありません。政治や選挙が綺麗ごとだけで進むとも思っていません。前大阪市長の橋本徹氏が「政治(選挙)は時代が時代ならば殺し合いで解決していたこと」との指摘はその通りだと思っていますし(※中東では反政権派との間で内戦になっており、選挙は民主主義の戦と形容)、それぐらい政治も選挙も泥臭く生々しくて血なまぐさいものです。だから、現職の市長が市議会議員に選挙の協力を仰ぐことも、それに賛同して議員が市長選挙の応援をすることも否定するつもりはありません。

 

応援する市議会議員も市長と個人的に親しい方、市長選挙の応援をすることで自分にメリットがあると考える方など、立場はそれぞれです。地方公務員は選挙運動の禁止や制限がありますが、地方公務員特別職である我々市議会議員にはその制約もありません。だからそれぞれの信条に基づいて活動をされたら良いと考えます。しかし、私は市長と市議会議員が仲睦まじく選挙協力している体制には違和感があり、「正しい」「間違っている」「良い」「悪い」だけではなく「おかしい」と考えることは実施しないという信念に基づき行動しています。

 

そのため、私は明確に立場と意見を表明していきますが、すべての人に会って伝えられる機会があるわけでもありませんので、ここに綴り一人でも多くの方にご覧になっていただければ嬉しく思います。私が市議会議員として市長選挙を応援するべきではないと考える理由として、以下の2つを挙げます。

 

① 市長と議員の馴れ合い防止

②志のある立候補者の芽(意思)を摘む可能性の排除

 

 

①「市長と議員の馴れ合い防止」政治の常識は世間の非常識「地方議員の役割と仕組み」

 

首長と議員

 

政治の常識は世間の非常識という言葉がありますが、市議会や議員活動を通じて疑問や疑念を抱くことは少なくありません。そのひとつは非生産的(非合理的)なことが目立つことです。連絡手段がFAXや郵送であることや、議会や委員会の招集が押印付の紙といった些細なことから、予算や決算の資料が紙ベース(CSV出力不可)で、データ集計や突合が困難であるといったシステムに関すること(最近でも自治体セキュリティクラウド運用なども本当に酷い)、委員会等での質問をそれぞれの議員が別々に提出し、職員が個別対応を実施して議事録がデータベース化されないこと(款項目の順で整理して問と回答を一覧化すれば済む)など枚挙にいとまがありません。ただしこの慣習や物事の進め方は、仕組みの問題であるため、もっと生産的で合理的に実施できるように議員として改善に向けて取り組むべきことであり、その心掛けで臨み活動をしています。

 

もう一つ、大きな疑問と疑念を感じることとして、首長と議会の関係があります。わかりやすく言えば「首長と議員(議会)の馴れ合い」です。東京都では、最大会派になった都民ファーストの会が、議会での質疑で小池百合子知事の主張を繰り返した上で「高く評価する」とヨイショするなど、小池都知事と都議会議員の緊張感のない関係が指摘されていますが、これは都議会だけの問題ではなく、全国の地方議会で多く見られる事象です。首長のイエスマンの議員が大半を占める状況が果たして健全でしょうか? 首長に対して議員は是々非々で臨み、監視機能を果たさなければ、議員の存在意義はないのではないでしょうか? 

 

そもそも地方政治は首長と議員がそれぞれ住民から直接選ばれる二元代表制となっています。二元代表制の特徴は、首長、議会がともに住民を代表することにあり、議員の主な役割は「地方公共団体の意思を決定する機能」「執行機関を監視する機能」です。

 

・執行機関(市長・役所)から提案される予算、決算、条例制定や改廃、締結する契約等を審議して、その可否について決定する機能

・執行機関(市長・役所)を監視・評価し、独走をチェックする機能

 

この2つを最も大きな役割として、「条例制定や改廃等についての提案権」「議案の提案・修正などによる議会意思の表明」「議員政策提案」などの機能を有効に活用して議会・議員活動を実施していくべきであると考えます。

 

つまり、放漫経営が累積赤字として重くのしかかかり財政破綻した夕張市の事例を出すまでもなく、ヤミ起債や行政と業者との癒着などをチェックすると同時に、税金を無駄づかいしないように確認し、費用対効果のある政策を優先順位をつけて実施する提案など、より良い行政運営に向けて働きかけていくべきでしょう。監査機能(チェック機能)が絶対に欠かせません。そのような市長と議員という緊張感を保つべき関係において、市長選挙という最もセンシティブかつ大きな利権の趨勢を決める場で議員が市長を応援して緊張関係を保てるでしょうか? 選挙協力をしたから見返りをという考え方もあるかもしれませんが、それこそ既得権益の醸成に繋がりかねず、私は適切ではないと考えます。

 

 

②志のある立候補者の芽(意思)を摘む可能性の排除。議員が市長を応援する姿を見て誰が選挙に出ようと思うのか?

 

議員が市長を応援

 

2つ目の理由は少し感傷的な説明になるかもしれません。これは我が市に限ったことではありませんが、市議会議員が現職の市長を全面的に応援する体制への疑問 です。これは抽象的な話ではなく、選挙事務所の当番から挨拶回り、演説会、選挙はがき、街宣車など、選挙活動協力まで議員が献身的にバックアップをする。物凄く強固な支援基盤であり、こんな姿を見たら誰が選挙に出たいと思うでしょうか?

 

全国的に首長の無投票や多選が話題になっていますが、市町村議員が揃って一人の候補を応援する体制は、新たな候補者の芽を摘む、強力な抑止力になっています。現状の政治や行政に疑問を持ち、改善したいことがあり政治を志す。権限が大きいのは市長と知事であり、地域であれば一番身近な存在が市長・町長でしょう。自身や支援者と政策を練り選挙に立候補しようとする。ただし相手は過半数どころか大部分の地元議員の支援と応援を受けている。いったいどうしてこんな選挙に挑戦したいと思うでしょうか? 

 

それでも、東修平 四条畷市長のように政党からの推薦は受けず同級生やその親で結成したチームで現職候補を破るという快挙を達成した例もありますし、身近なところでは、中村健 西尾市長のような挑戦成功の事例もございます。その一方で、山中光茂 元松阪市長が任期途中で辞任したことや、藤井浩人 美濃加茂市長の不自然な疑惑など、従来の体制への疑問と改善への取り組みが、困難に直面したケースも多々あります。

 

既得権益がどうこうと話をすり替えるつもりはありませんが、不自然な組織票が志のある方の挑戦や新人の挑戦を難しいものにしているのは、地方議員の首長選挙への積極的な関与が要因の一つとして大きいと思います。なお、地方選挙については、兵庫県知事選に挑戦した勝谷誠彦氏のメッセージが非常に興味深いのでここに紹介しておきます。

※詳細は →組織には勝てない地方選(日経ビジネスDIGITAL)

>叩いても壊れない組織票というやつなんですよ。これは根本的な問題で、日本の政治を根底から狂わせているのはこの組織票だと思いますね。組合員であるとか、会社員であるということで投票行動を規定されるのはおかしい。まだ日本人はそんなものに縛られているのかなと、悲しくなるよね。もうちょっと、自由でいいんじゃないかな。

 

●地方行政にイデオロギーの対立は不要で意味がない

 

その他にも存在しえないはずの「地方行政における与野党」問題をはじめ、様々な地方行政の問題もありますが、これは現行の政治行政に対するオピニオンであり、論文に纏めて問うべき議論であると思いますので改めて近々アップします。そして、このような議論をすると、イデオロギーや右派や左派、保守とリベラルを問われますが、私は小さな政府を是とする新保守主義のリバタリアンです。「権力は腐敗の傾向がある。絶対的権力は絶対的に腐敗する」の格言の通りだと思っています。

 

だから、私は合理性がないことが大嫌いですし、税金の無駄遣いをなくしたい、1円でも有効に税金を活用したいと考えています。そのため、弱者の味方のふりをして、経済的な利益を考えず、国益・住民利益を損なうことを声高に叫ぶ共産党を私は否定しますし、外交や国防やエネルギー問題は国政で問うべき問題であり、それを地方行政に持ち込むことは百害あって一利ないと考えます。ポピュリズムが民意をマッチポンプして分断を煽るのは、はEUの極右政党の躍進を見ても明らかでしょう。地域行政に必要なことと問うべきことは地域の発展と住み良い街づくりであり、そこにイデオロギーの問題は発生しません。

 

社会は残念ながら平等で公正につくられているわけではありません。既得権益や癒着、不正、理不尽なことも少なくない。それでも、不正や理不尽を仕方がないものとして諦めてしまうのではなく、少しでも改善できるよう主体性を持ち、自ら考え行動する姿勢で臨みます。これが私の考える主義主張であることを最後に補足して、明日と未来の知多市が少しでも良くなることを期待して、また尽力することをお約束して締めたいと思います。