人口減少と超高齢社会を迎えるにあたり,どのように移民を受け入れていくかは真剣に議論せねばなりませんが,外国人参政権は大きな問題があり,それを論理的かつわかりやすく記述した論文がございますので,紹介いたします.
以下PDFファイルが開けない方のために論文の全文転載いたします。
「外国人参政権が国民生活を壊す/山田宏(杉並区長)」
◇教科書採択への外国人の猛抗議◇
1月11日、政府・民主党首脳会議の場で、永住外国人に地方参政権を付与する法案をこの通常国会に提出するという方針が決定された。報道によれば、この会議の場で民主党の小沢一郎幹事長が「日韓関係を考えると政府がやるべきだ」と主張し、この法案は議員提出ではなく政府提出法案として準備が進められることになったという。
むろん民主党内にも、この外国人参政権問題について根強い批判があるし、連立を組んでいる国民新党の亀井静香代表も反対の姿勢を示しているから、法案の行方はいまだ固まったものとはいえないが、しかし万が一、この法案が可決するような事態となれば、間違いなく国民生活を大きく侵害する危険性をはらんだものになるばかりではなく、将来的に、日本の在り方に深刻な影を落とすものとなるだろう。
有権者のなかには、今回の問題を聞いて、「地方参政権ぐらいなら永住外国人に与えてもいいのではないか」と考えている人も多いようである。だが、これはそう簡単な問題ではない。11年間、杉並区長を務めてきた体験も踏まえてそれについて指摘したのちに、あらためてこの問題の本質について論じていきたいと思う。
まず、私自身が経験したことをお話ししたいと思う。2005年、杉並区が扶桑社の歴史教科書を採択したときのことである。
いずれの国であれ、自国の国民の子弟の教育内容は、その国の国民が責任をもって決めるのが当然である。どの教科書を選ぶかも国民の重要なテーマで、小中学校の場合、それは市町村の教育委員会の権限になっている。その権限に基づいて、杉並区の教育委員会が扶桑社の歴史教科書を採択するのではないかとマスコミで報じられるや、全国の民団(在日本大韓民国民団)から抗議の手紙が殺到した。全国各地の民団の各支部から続々と舞い込んできたのである。どの歴史教科書を採択するかは民団が強く関心をもってきたテーマであり、彼らの主張する歴史認識に反する教科書を採択しないよう強く求めてきたのだ。
そればかりではなく、杉並区議会でこの教科書採択のことが質問に上ると、民団の関係者と思しき人びとが大挙して傍聴に訪れて傍聴席に陣取り、大きな声で野次を続けた。議会の傍聴席でそのような行為は禁じられており、議長も注意をするのだが、どんなに注意されようとも意に介さない。さらに、区長室の前にも多人数で押し掛け、シュプレヒコールを繰り返したのであった。
もし、外国人参政権が付与されていたらどうなっただろうか。外国人が区長や区議会議員に対する選挙権をもつようになり、そのうえであのような激しい抗議活動が行なわれたとすれば、与野党を問わず、彼らの顔色を窺おうとする議員が出てきただろう。また、たとえばルール違反の抗議活動を排除しようとした場合、これまでならば、「日本人が責任をもつべき教育の内容について、このような干渉をするのは失礼ではないですか」と主張することもできたが、外国人参政権が認められていれば「同じ有権者なのに、われわれを日本人と差別するのか」という話にもなりかねない。
これは歴史教科書に限った話ではない。道徳や倫理、公民の教科書についても、たとえば外国の一定の勢力が日本の各自治体に圧力をかけ、自分たちに都合のよい教科書を採択させることが可能になるのである。
さらに教育についていえば、いま市区町村が独自に教師を採用することが認められるようになった。杉並区では「杉並師範館」という教師養成塾を設け、外部から講師も招いて独自のカリキュラムに基づいて教育を行ない、すでに第3期生までで71名の卒塾生が実際に杉並の学校に配属されている。もし、外国人参政権によって外国人勢力がこのようなプログラムに圧力をかけられるようになれば、教科書ばかりではなく、教育の根幹である教員育成にまで大きな影響力を行使できるようになるだろう。
あるいは学校に対して直接、圧力をかけることも考えられる。最近、教育現場ではモンスター・ペアレントも問題になっているが、もし外国人勢力が自分たちの歴史観や主義主張に合わないような教育をする先生や学校運営に対して抗議活動を始め、それを「有権者として市長や区長に報告する」と言い募れば、校長や先生は深刻な圧力を感じざるをえない。そんなことも日々起こりかねないのである。
誤解してもらっては困るのだが、私は、ルール違反の抗議活動は断じて許されないと考えるが、外国人が自国の歴史観に誇りをもち、それを主張すること自体はごくごく当たり前で、問題だとは考えていない。
そもそも歴史とは、どの立場から見るかによって、まったく異なるものである。戊辰戦争をどう見るかということ1つをとっても、会津と長州とでは見方がまったく異なる。日本国内ですらそうなのだから、ましてや外国の人たちが、自国の歴史に誇りをもち、自国のために行動をすることはありうるし、それが時と場合によっては日本人の考えと衝突することがあるのも、ごくごく当然のことなのである。
むしろ、それが当たり前のことであるからこそ、そのような外国の方々に、日本での1票を与え、公権力を左右できる力を与えることが、本当に正しいことなのかどうか、ということが問題になるのである。ここは真剣に考えなければならない問題である。
◇対馬が韓国領になる日?◇
前提として理解しておかねばならないのは、都道府県であれ市町村であれ、地方自治体は国の統治機構の一つであり、地域を通じて国政に大いに影響力を発揮する立場にあるということである。先般の名護市長選挙は、まさに象徴的な事例だろう。普天間基地の辺野古移設に反対する首長が選出されたことで、今後日本の安保政策は大きな転換を迫られるであろう。
ほかにも、たとえばある地域に原子力発電所を建設するとき、電力会社や国は、その自治体の知事や市長、議会などと交渉しなければならない。建設にあたって、最終的に決定権をもつのは、都道府県や市町村だからである。
このとき外国人参政権が認められていれば、ある特定の意図をもった外国人グループが原子力発電所の建設候補地に住み、参政権を背景に一定の影響力を行使することも考えられる。とくに原子力発電所の候補地となるのは、たいてい小さな市や町だから、小さなグループでも大きな影響力を発揮しやすい。資金力のある組織なら、なおさらである。
外国船の入港できる港湾に関する権限も、都道府県と政令指定都市がもっている。これは自衛隊の施設やアメリカ軍基地の利用などにも通じる話であって、外国人参政権があれば、「米軍の艦船の入港を認めない」といった反対運動も起こしやすくなる。
ましてや対馬のように、韓国の一部の勢力が「対馬は自国領土だ」と主張しているケースもある。対馬市に在日韓国人が大量に住民票を移し、自分たちの代表を多数市議会に送り込んで「対馬は韓国領だ」などという決議を成立させたらどうなるか。あるいは、尖閣列島をその市域に含む石垣市に中国系の永住外国人が大挙押し掛け、「尖閣列島は中国の領土だ」という決議を行なったらどうであろう。
もちろん、そのような事が起こったからといって、いきなり領有権を左右する具体的な問題に直結するわけでもないだろうが、こういうものはボディブローのようにじわじわと効いてくる。気が付くと、対馬や尖閣列島が日本領ではなくなっていたということも起こりうるのだ。
対馬市も石垣市も、いずれも人口3万人から4万人ほどの市だから、このような事も、まったく想定できない話でもない。なにしろ、現時点でたとえば特別永住者(戦前は日本国籍を有していたが、戦後、サンフランシスコ講和条約により日本国籍を離脱した者。在日韓国・朝鮮人および台湾人が主たる対象だが、現在、大半は韓国・朝鮮籍)が42万人、一般永住者が50万人弱(うち中国人が約14万人)いるのだ。法務省の平成20年末現在における外国人登録者統計についての発表によれば、特別永住者の数はその前年に比べ9924人減少しているが、一般永住者は前年に比べ5万2299人増加している。
このように書くと、「それは極論であって、全体の有権者数に占める永住外国人の数は限られているのだから、影響力は高が知れているのではないか」と考える人もいるかもしれない。だが、忘れてはいけないのは、市長や知事は、いわば1選挙区1人の小選挙区にいるようなものだということである。小選挙区の政治家は反対に弱い。なるべく全員を満足させるような政策を打ちやすく、外国人に参政権があれば、彼らの意見を公約やマニフェストに踏まえるケースも増えるはずだ。
さらに、基地の受け入れなどの問題は、反対と賛成で意見が真っ二つに分かれる場合も多い。たとえば、名護市長選挙の結果も、基地反対派の稲嶺進氏の得票が1万7950票に対し、推進派の島袋吉和氏の得票は1万6362票。その差は1588票であった。わずか数千票が、結果を正反対に変えてしまうことも、けっして考えられないことではないのである。
とはいえ、先ほど、一般永住者が1年間でおよそ5万人増加したと紹介したが、今後ますます日本に永住を希望する外国人が増えることも想定される。外国人が増えれば、当然そのコミュニティができてくるだろうし、そのコミュニティをどのようにわれわれの社会と融和させるかという問題も起きてくるだろう。すでに現在でも、地域によってはそのような問題に直面しているケースもあると聞く。
たしかに、外国人が多数住むようになれば、彼らをわれわれのコミュニティの外に置いておくのは、むしろさまざまな軋轢を生みかねないという意味からも危険であろう。だが、いままで述べてきた背景から、安易に参政権を付与するのは問題だと考える。われわれが参考にすべきは、ドイツの事例ではないだろうか。
かつてドイツでも、外国人の参政権について議論が盛んに行なわれた。しかし最終的には、1990年に連邦憲法裁判所が外国人参政権は違憲だという判断を下した。ドイツ基本法第20条2項に「国家権力は、国民により、選挙および投票によって行使される」という趣旨が定められており、外国人はここでいう「国民」に該当しないとされたからである。
その後、1992年にEUの創設を定めたマーストリヒト条約で「域内での外国人の地方参政権の付与」が規定されたのを受け、ドイツもマーストリヒト条約批准後に憲法を改正して、EU加盟国国民に限り外国人地方参政権を認めた。だが、それ以外の外国人については、引き続き参政権は認められていない。
このような背景もあって、ドイツでは、各自治体に外国人評議会がつくられた。この評議会の議員は参政権をもたない外国人(つまりEU加盟国以外の国籍の外国人)の選挙によって選出される。そして彼らを通して、外国人の意見を市政に反映させ、コミュニティの融和を図る努力をしているのだ。
逆に、外国人に地方参政権を与えたケースとしてオランダがあるが、これによりオランダではイスラム系の外国人が大量に参政権をもつようになり、その結果、地方コミュニティがバラバラになって異文化対立が先鋭化するようになったといわれる。やはり明確に線引きすることが重要なのだ。
日本人が外国で暮らすときに日本に誇りをもつのと同じく、外国人は外国人としての誇りをもって日本に住んでいる。思考実験としてあえていうならば、たとえば日本とある国が戦争状態になったとき、その国にアイデンティティをもつ外国人は、日本ではなく相手国に忠誠を誓い、その国に与して戦おうと考えるかもしれない。だが、彼が外国人である以上、そう考えるのも自然なのである。お互いの誇りを尊重するためにも、政治的に「他者」であることは確保されるべきであり、だからこそ参政権は外国人に安易に付与されてはいけないのである。
◇特別永住者も付与の妥当性なし◇
外国人参政権問題が議論されるときには、特別永住者の問題が大きくクローズアップされることが多い。たとえば小沢一郎氏は自身のホームページで次のように記している。
「主として永住外国人の大半を占める在日韓国・北朝鮮の人々は、明治43年の日韓併合によって、その意に反して強制的に日本国民にされました。すなわち、日本が戦争によって敗れるまでは、大日本帝国の同じ臣民でありました。日本人としてオリンピックに参加し、日の丸を背負い金メダルを取っています。また、日本のために多くの朝鮮の方々が日本人として、兵役につき、戦い、死んでいきました。このような意味においては、英連邦における本国と植民地の関係よりもずっと強く深い関係だったと言えます。私達はこのような歴史的な経過の中で今日の問題があることを忘れてはなりません」
たしかに、このような意見もあるだろう。しかし、終戦後、在日韓国・朝鮮人は「強制的」に日本に留められたのではない。日本政府は引き揚げ船を準備し、在日韓国・朝鮮人で帰国を希望する人は朝鮮半島へ送り届け、終戦時に200万人いた在日韓国・朝鮮人のうち、昭和21年末までに約140万人が朝鮮半島に帰っている。
また、いまだ一部に「在日韓国・朝鮮人は戦前の強制連行によって連れてこられたのだから」という話を前提にする人もいるが、これはいうまでもなく問題を履き違えている。そもそも厳密にいえば、朝鮮人の強制連行など存在しなかった。戦時中、日本では昭和14年に制定された国民徴用令に基づいて、軍需産業を中心に労働力確保のために徴用が行なわれた。当初は朝鮮人への徴用令の適用は免除されていたが、戦局の悪化にともない昭和19年9月より徴用されるようになった。
当時は朝鮮半島も日本国の一部であり、小沢氏が文章に書いているとおり、同じ国民として戦ったのである。なにも朝鮮の方々だけを強制的に働かせたのではない。しかも、先ほど述べたように、いま日本に住む特別永住者は、朝鮮半島に帰国できたにもかかわらず、自分の意思に基づいて残った人々だ。ある種の感情的な動機から、そのような特別永住者への参政権付与を進めようというのは、妥当性を欠く。
参政権を与える外国人として、在日韓国人・朝鮮人を中心とする特別永住者だけでなく、国が永住許可を認めた一般外国人も含めるという議論もあるが、これに至っては論外で、特別永住者どころではない問題をはらんでいる。
とくに問題となるのが中国人で、一般永住者のなかに占める比率も中国人がもっとも高い。中国は、韓国と並んで日本と特別な歴史的関係をもち、国内で反日的な教育をしている国でもある。今後、中国国籍の一般永住者がますます増大し、その一般永住者に対する参政権が認められるようなことになれば、明らかにわが国の政治への影響力は絶大なものとなろう。
しかも一般永住者になるのは簡単である。法律上の要件として、素行が善良であること、独立生計を営むに足りる資産又は技能を有すること、その者の永住が日本国の利益に合すると認められること(原則として引き続き10年以上本邦に在留していること、罰金刑や懲役刑などを受けていないこと。納税義務等公的義務を履行していること、公衆衛生上の観点から有害となるおそれがないこと等)などが挙げられるのみだ。
さらにいうならば、日本は国籍取得もあまりにハードルが低すぎる。帰化する際の要件も再検討する必要があるだろう。少なくとも日本の歴史について一定の理解をもち、天皇や皇室に対する正しい認識をもつなど、日本国民として必要な要件をきちんと定め、アメリカはじめ諸外国が実施しているように、きちんと国籍取得試験を行なう必要があるのではなかろうか。
◇民主主義の体を成さぬ暴挙◇
いままで縷々述べてきたが、そもそも外国人地方参政権は、日本国憲法に違反する。憲法15条第1項に「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と定められているからである。違憲の疑いの濃い法律を国が軽々につくること自体が、そもそもおかしい。少なくとも、広く国民的な議論を尽くしたうえで決めるべきものではないのか。
参政権とは、その国の将来を決める権利である。その国の国民にのみ与えるのは、きわめて当然の話である。世界を見渡しても、外国人参政権を認めている国は少数であり、認めている国も、先ほど紹介したEUのように、対象者をEU加盟国籍者などと限定している国が大半なのである。
このように多くの問題を含む外国人参政権について、民主党は昨年の総選挙マニフェストでいっさい触れなかった。「個人的には前向きに考えるべきだと思うが、党内で結論が出ている状況ではない」(鳩山代表)との理由で、記載が見送られたのである。国民の批判が強いものは隠し、保守系の票を取り込もうとしたのだろう。
しかも、さらに問題なのは小沢一郎幹事長が、日本国内で公式にこの問題を問うより先に、韓国でこの法案を次の通常国会で提出すると「公約」したことである。『産経新聞』(1月13日付)は、「小沢氏は政権交代直後、李大統領の実兄でハンナラ党国会議員の李相得氏に『何とかしなければならない。通常国会で目鼻を付けたい』と言明。12月のソウル市内での講演では『日本政府の姿勢を示す意味でも政府提案として出すべきだ』と強調した」と報じている。
さらに今年1月12日に行なわれた民団の新年会では、参列した民主党の山岡賢次国会対策委員長が「法案が1日も早く今国会で実現するように全力で取り組みたい」と述べ(『朝日新聞』1月13日付)、赤松広隆農水相は「民団の皆さまには昨年、特にお世話になった。投票はしてもらえないが、全国各地でいろんな形でご支援いただき、308議席、政権交代につながった」と語り、「民主党中心の政権で地方参政権問題が解決するとの思いで応援してくれたと思う。その意味で公約を守るのは当たり前だ」と語ったという(『産経新聞』1月13日付)。
彼らがマニフェストに高々と掲げ、日本国民に問うという手続きを踏んだうえで外国人参政権の問題を進めるなら、まだ話はわかる。だがその部分を隠し、外国人にだけ約束するのでは、まるで民主主義の体を成していない。マニフェストにないからこの問題には取り組まないと思って投票した人は、民主党に騙されたも同じである。
民主党政権には、自分たちがどこの国の政権かという認識が欠如しているともいえるだろう。「友愛」を看板にした無国籍政権、さらにいえばまったくの媚中・媚韓政権である。中国、韓国に対して「対等」ではなく、「卑屈さ」ばかりが際立つが、このような「卑屈」な国家関係ができあがれば、いずれ必ず争いが起こる。
「対等」という関係のなかには、相手への恐れや尊敬がある。そのバランスが崩れればケンカになるとわかっているから、お互いバランスをうまくとろうと努力もする。だが「卑屈」がもたらすのは上下関係である。上の者は下の者に押し付け、下の者はそれを受け入れるのみ。これが習い性になれば、上の者は下の者を侮り、傲慢に振る舞うようになる。
そんな状態がいつまでも続けば、いずれ下の者は追い込まれて爆発する。行き着くところまで行くしかなくなるのだ。
政治の衝に当たる者は、7世紀初めに隋という中国の大帝国を前にしても「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」と国書を送った聖徳太子の気概を拳拳服膺してほしい。
お互いがお互いに誇りをもつ者として認め合いながら、お互いを尊重する。そのような対等の関係を築けない「根底における卑屈さ」こそ、民主党政権の最大の欠陥である。昨年、中国の習近平副主席来日の際、民主党が1カ月ルールを破って天皇陛下との会談を実現させたことは、その最たるものであった。
天皇陛下と会見する際、1カ月前までに文書で申請しなければならないというのは、きわめて単純なルールだが、だからこそ守ることが大事なのだ。そのシンプルさのなかでこそ、お互いの誇りは保たれ、誰に対しても公平さが確保できるのである。
外国人参政権問題もまさに根を同じくする問題である。これを断固阻止すべく、良識ある国民はこぞって立ち上がるべきであろう。民主党のなかにもまだ、「自分は国民や国家を代表する議員で、党の従属物でない」と考える議員がいるはずだ。この法案阻止にこそ、その証しを見せるべきである。